ここ数年、プロテイン商品がスーパーやコンビニに今では必ずあるぐらい知名度が広がってきていますよね。
フィットネス業界からするととても嬉しいことです。中には「プロテインはアメリカにずっと昔からある」と詳しい人もいるでしょう。
ですが、面白い話がプロテインを開発した野沢秀雄さんはアメリカのプロテインを全く知らずに「タンパク質を多くとれる食品をつくりたい」の一心で1975年(昭和50年)に日本でプロテインを作り発売にこぎつけたとのことです。
アメリカの製品をマネしたとか成分を参考にしたとか、いっさいそのような事実はなく筋力トレーニングをする人のために新しく考え出された新製品でした。
今回はそんなプロテインの誕生と鈴木さんについてご紹介していきたいと思います!
高校時代から栄養に関心があった野沢さん
学生時代から栄養について興味があったらしく、「筋肉はタンパク質で出来ている」ということから「京都大学農学部に入学して健康食品を勉強したい」と考えていたみたいです。その後、健康食品についての研究などをして、明治製菓に就職。成績をつくりあげて社長賞を受賞したりなどプロテインつくりに熱意が昔からあったことが分かります。
その中で食品と薬品の中間に今あるサプリメントを想定した事業プランを提出し、プロテインの販売にまで至ったとのことです。
いっこうに売れなかった健康食品
市場調査や会議の連続でセシリアという共通ブランドを立ち上げて、カラダに良いとされる自然食品などを活用した製品を日本橋高島屋の地下で販売。その際にはセシリアレディと呼ばれる販売員などを動員したが、費用がかさむばかりでなかなか売れなかったようです。
このままでは失敗して終わってしまう…
なら「じゃあ失敗してもいいからプロテインを作っても良いか!?」と提案、そこからが鈴木さんの本領発揮する場面でした。
味の素がネズミ実験をしてくれた
プロテインの原料となる大豆粉末を提供してくれたのが味の素と不二製油の2社でした。特に味の素は野沢さんが提案したプロテインに対してネズミ実験をしてくれて、安全確認と体重増加効果の実験をしてくれたとのこと。
最初は「おいしくない」という感想
当初は「おいしくなーい」と言いながら飲んでいたみたいです。
(この記事を作成しているスターティングフィットネスジャパンの齋藤も実際に昔プロテインを飲んだ際のまずさで女性の前で吐いてしまった経験がありますw)
プロテインつくりで意識したいポイントとして以下の課題が見つかった
1.最上級の大豆たんぱく粉末を原料とする
2.なるべく溶けやすくする
3.牛乳と一緒に飲むことを前提にする
4.ビタミンやミネラルも添加する
5.持久力アップを考慮して小麦胚芽油を混ぜる
6.砂糖や添加物を一切使わない
こうしてアメリカ製とは全く違う日本製のプロテインが1975年10月に誕生した。
以上いかがでしたか。今では簡単にプロテインを作れる時代になり、味もとても美味しいですよね。
日々、社会貢献してくれる企業努力のおかげで便利な時代ですが明治製菓や味の素の協力、野沢さんの貢献などからできたプロテインを感謝して飲んでいきたいと感じる内容でしたよね。
今回ご紹介した内容は「トレーニングの相棒プロテイン」野沢秀雄氏の内容を一部ご紹介させて頂きました。とても勉強になるのと面白いエピソードが詰まった本ですので是非参考にしてみて下さい。